Hearts of Iron 2 DOOMS DAY 〜AAR・世界に冠たるドイツ〜 第二部・海を越えて
欧州大陸を制覇し、ついに海の向こうへ

ドイツはついに宿敵フランスを打倒し、欧州の覇権を握った。だがまだ抵抗の火を灯しつづける大英帝国、そして世界を窺いつづける巨人アメリカ。そして東方の脅威。まだ戦いは始まったばかりなのである。

これから先、西部戦線では海を越える必要がある。このため海軍力の増強は当初から計画されていた。レーダー元帥率いるドイツ第1艦隊は正規空母2隻、戦艦3隻を含む30個小艦隊を編成。第2艦隊は軽空母・戦艦・巡戦を含む16個小艦隊で配備を完了した。しかし海軍決戦のみではイギリスを打倒する事はできない。輸送艇の大量生産を行い、ドイツにおいて史上初の海兵隊組織が編成された。突撃海兵師団6個が新たに海の向こうへとドイツの覇権を伸ばす訓練を重ねた。ドイツはあくまでも陸軍力にて勝負しなければイギリスに勝つことはできないのである。


1940年-ヴェーゼル演習

史実ではポーランド戦後に発動されるヴェーゼル演習(北欧侵攻作戦)。hoi2においてはランダムイベント"アルトマルク号事件"が起きないとヴェーゼル演習のフラグが立たないためフランス戦後に発動となってしまった。

ドイツ軍のデンマーク・ノルウェーへの侵攻がはじまった。即日、デンマーク降伏そして併合。ヴェーゼル演習艦隊が新造の突撃海兵師団を乗せ出航、沿岸要塞のあるオスロを避けて強襲上陸に成功。側面からオスロを攻撃。ノルウェーの橋頭堡を確保し、歩兵・装甲師団が続いて上陸する。

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橋頭堡の確保を完了した海兵突撃師団は本国へ帰国する。ノルウェー侵攻は後続の歩兵師団・山岳師団・装甲師団の3個軍が引き継ぐ。突撃海兵師団には次の任務が待っていた、そうついにブリテン島侵攻"ゼーレヴェー(あしか)作戦"が実行されるのだ。


1940年-同盟を求める国々

日独伊三国同盟イベント発生。しかしイタリアも日本もまだ頼れる存在かまだわからない。ここは一度辞退する。大して今ごろになってハンガリーが軍事同盟を求めてきた。正直いてもいなくてもいいんだけど無害なのでハンガリーとの同盟は認める。

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ヒトラーは常々「昼行灯共」と将軍達に愚痴をこぼしていた。ハンガリーとドイツは常々友好的な間柄であったが、ハンガリー政府は表向きは親ドイツとしていたがドイツに対する協力的態度は見られなかった。しかしハンガリーとの同盟はファシズム陣営での初の軍事同盟と言える。つまりこれは世界に対する"ファシズムがドイツ1国の独り善がりではない"というメッセージなのだ。


1941年-ゼーレヴェー作成発動

1941年、ゼーレヴェー作戦第三修正案がヒトラーによって採択された。明朝、作戦開始命令が発せられた。ドイツ第1、第2艦隊はドーバー海峡へ進出。海軍爆撃機4個航空団がカレーより出撃。警戒中の英軍10個小艦隊を撃退した。英国本土爆撃部隊出撃、英空軍のは突然の奇襲に動揺し、有効な反撃に出た部隊は少数だった。爆撃部隊がドーバーの爆撃を完了し、ドイツ第3艦隊、旧ヴェーゼル演習艦隊が海兵突撃師団と機甲師団を乗せてドーバーに強襲上陸を開始。制圧の確認後素早くロンドンに降下猟兵3個師団が空挺強襲。本土の防衛は弱く、各所で英軍を撃破する。

ついに機甲師団がエディンバラまでに進出し、英軍10個師団を包囲。2日後包囲された10個師団は降伏を拒否し、ドイツ軍によって殲滅された。

一方、地中海世界では…


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当初「ムッソリーニ?役立たずのヘタリアではないか、大ローマの再建などと謳っているが実力を考えた言動を取ってもらいものだ。イタリアとは友好的な関係に留めたままのほうが良い。」と総統から言われていたのにも関わらず、対フランス戦・対イギリス戦に参加してないため大人しくしているのかと思えばいつのまにかギリシャを併合していた。

エーリッヒ・レーダー 「総統閣下!哨戒中のUボート第3艦隊より連絡。"ビスケー湾を北上中のイギリス軍を発見、輸送船を含む大規模な船団を有す。我敵駆逐艦より追跡を受け回避中…"以後音信不通、Uボート艦隊はほぼ壊滅状態かと思われます。」

ゲーリング 「ブリテン島に飛来するイギリス軍機が増大しています。制空権は既に確保していますが、海軍攻撃航空団はドーバー海峡以外に割り振る余力がありません。」

マンシュタイン 「エディンバラに進出している軍集団との補給路の遮断を狙って上陸作戦を行うと予測できます。至急ブリテン島南部に増援を送り阻止しなければ包囲されます。」

ちょびヒゲ伍長 「ロストックに駐留している6個師団を増援としてブリテン島に至急派遣。エディンバラに進撃中の一部機甲師団をロンドンとの中間線に戻して補給路を死守せよ!」

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マンシュタイン 「敵が上陸作戦を開始しました!エディンバラ方面軍とプリマス駐留軍が包囲されています!」

ちょびヒゲ伍長 「ゲーリング、直ちに空輸部隊を編成して包囲下にある軍に物資を届けよ!」

マンシュタイン 「救援軍がドーバーに到着しました。これより北部との連絡を確保します。」

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マンシュタイン 「閣下。エディンバラとの連絡を回復しました。」

ちょびヒゲ伍長 「よし、そのまま北進せよ。北海に追い落とすのだ!」

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グデーリアン 「閣下、ブリテン島全土を制圧し帰還致しました。」

ちょびヒゲ伍長 「包囲下にも屈せずよく頑張ってくれた、将軍には昇進と指揮下部隊の一時休暇を与える。イギリス本土には沿岸部を中心に守備隊と騎兵師団を駐留させて防衛を行う。突撃海兵師団はゼーレヴェー作戦追加修正案に基づき、アイルランド国境を越えて侵攻せよ。」


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イギリス本土を制圧したヒトラーは即日アイルランド政府に親書を送った。内容はアイルランド北部にあるイギリス領引渡し提案だった。アイルランド全島統一はアイルランド人長年の悲願であったが、提案を受け入れば英連邦を敵にまわす事になるためヒトラーの提案を断った。だがこうなる事を予測していたヒトラーは諜報機関を総動員して交渉の内容をアイルランド国民に広めた。この事実を知ったアイルランド国民はドイツ提案を受け入れるべきとする統一強硬派と戦争への介入を避けるべきとする中立派に分かれて一部では暴動が起こり、影ではドイツ軍諜報部(アプヴェール)と繋がったIRAがテロを支援した。統一強行派をドイツ諜報組織は全面的にバックアップし、ついにドイツは交渉に応じないアイルランド政府に宣戦布告。しかしアイルランド侵攻はゼーレヴェー作戦の検討段階で追加案として既に計画されたものだった。6個師団がアイルランドに侵攻し、1週間も経たぬ間に全土を制圧。アイルランド政府はIRAや国民からの離反を受けて、ついには失脚して降伏した。

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その後、統一強行派が政府首班としてアイルランド全島の独立を宣言。ドイツ政府もこれを認めた。独立翌日、政府は今までの中立的態度ではなく大々的なドイツ支援を宣言してイギリス側に宣戦布告した。こうして悲願であったアイルランド全土統一はドイツの属国となる条件の元に達せられたのであった。アイルランドの再独立後、本国を失ったイギリス政府に対してヒトラーは講和の用意があると伝えた。だがチャーチルは「まだ我々にはインドがある。屈する事は有り得ない。」として講和を拒否した。



1943年-独ソ戦開始

史実よりも2年遅れでついに独ソ戦が開始された。大粛清で弱まっていたもののソ連は時間を与えれば与える程に強大になる。しかし避ける事のできない戦いである。ドイツ軍は僅かに100個師団程、兵力的には大分少ないが機械化歩兵・装甲師団の割合が多く質は格段に上である。新たにフィンランド・ルーマニアを軍事同盟に加えて、ついに東へと進撃していく。

敵の抵抗は強く、ドイツ軍得意の電撃戦方式ではなく古典的な包囲殲滅戦でじわりじわりと東進する。フィンランド支援のために山岳師団と装甲師団をノルウェーまで海運してドイツ軍北部方面軍の到達までフィンランド防衛にあたった。

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一時的にカレリア地峡防衛線を突破されフィンランドの大部分を失うが北部方面軍がレニングラードに到達。戦力の逐次投入は戦略的タブーであるが準備の整った機械化歩兵・装甲師団が続々と北部方面援護に駆けつけた。

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北部方面での苦戦から脱した時、イタリアが軍事同盟の提案。とことん"勝ち馬にしか乗らない"精神にある意味脱帽ものである。どのみち独ソ戦は好転し、イギリスは本土を失いインドに立てこもっている状態であるし、先ほどスペインとの軍事同盟を組むことに成功しジブラルタル海峡を確保。残るスエズ運河を確保すれば地中海は完全に枢軸側の支配下に入る。ギリシャを制圧し戦力を温存している、もはや負けこむ事もあるまいとイタリアとの同盟に同意した。

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半年を費やしてついにスターリングラード制圧。主力は左遷中のヒムラー率いるSS装甲軍集団。同月、マンシュタインの南部方面軍がクリミア半島を制圧。翌月にはロンメル・グデーリアン等の名将率いる装甲軍が中央方面軍と合流してモスクワ制圧。スターリンはモスクワを捨てて東部に逃げ込んだが未だ赤軍は抵抗を止めない。

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ついにアメリカが動いた。なぜかヴィシーフランスに対して宣戦布告である。ヴィシーフランスはドイツとの同盟に入り、ついにアメリカとの対戦が確定した。翌週、既にアメリカと開戦している日本と同盟。"東方のサムライ"は破竹の勢いで大陸を進撃し、ついにインド到達。防共協定も無く、三国同盟すら拒否した仲であるにもかかわらずここにきて世界の枢軸勢力は結託したのであった。

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独ソ開戦から2年近く。東進を続けるドイツ軍、そして背後から襲い掛かる日本軍に挟撃されたソ連はついに講和を提案してきた。ヒトラーはスターリンの提案してきた内容を承諾し東方に広大な生存圏を確保した。全ドイツ国民は歓喜し、ベルリンでは独ソ戦勝利式典が盛大に行われた。ヒトラーは「我々はナポレオンすらなし得なかった偉業を成し遂げたのだ!」と熱弁を振るい、ゲッベルスはドイツ国民の優秀性を演説し広場は幾万もの"ハイル!(万歳)"の声が朝まで響いた。勝利に酔うドイツに針にさされる事態が起こった。友好関係にあったオランダが連合国側に立ち宣戦布告してきた。しかし欧州駐留中のドイツ軍歩兵師団によって3日で本土を制圧される。しかし広大な土地を得たが故にパルチザンの活発化に伴いドイツ軍の輸送能力はかなり悪化していた。ヒトラーは東方の領地は断固全てドイツが保有し、スラブ人を解放する気などなかった。だが負担は甚大であるため、ついにウクライナ地方の独立を認めた。後に複数のスラブ人国家が独立する事となるが、ウクライナはソ連からの圧制から開放され、ついに独立国家となった。


1945年-砂漠の戦場へ
アフリカ派遣ドイツ軍

イタリアはドイツとの同盟を組んだ後に直ちにアフリカへ進軍した。もはや勢いを失っているイギリス軍はまともな抵抗もできずイタリア軍に敗れ、ついにはスエズ運河を失い地中海への道は閉ざされた。北アフリカを制圧し、イタリア軍は南アフリカへ向かって進撃した。そしてソ連降伏の直前、ペルシアがドイツに対して宣戦布告。一体どのような考えで宣戦布告したのかは不明だが、広大なロシアを制したドイツ軍は直ちにペルシアに進軍を開始した。ペルシアを併合し、ドイツ軍はそのまま南下してついにペルシャ湾に達した。インド南部以外は既に日本軍が制圧しており、南下した軍はイタリア支援のためにアラビア半島を抜けてアフリカへ進出。イタリア軍の南下を援護しつつ、ヴィシーフランスの膠着戦線であるアフリカ西部へ進撃する。極悪な陸路を半年を要して走破してついにシエラレオネに到達した。フランス亡命政府領、オランダ亡命政府領、イギリス領、南アフリカも陥落し、全アフリカは枢軸勢力によって征服された。


1946年-大陸間戦争
ドイツ軍カナダ上陸作戦

もはやイギリスはインド全土を失い、わずかにセイロン島にしがみついており虫の息であった。もはやイギリスは敵ではなかった。ドイツ軍の目標はついにアメリカ本国へと向けられた。アイスランド・グリーンランドを制圧しアメリカ大陸への橋頭堡とした。ドイツ第1艦隊の援護の元、5個軍団がカナダへ上陸した。カナダ軍の抵抗は微弱であり、2週間でアメリカ・カナダ国境線に到達した。カナダ軍とは違い、アメリカ軍の抵抗は極めて強く、何度も攻防戦が行われたが戦線は膠着した。そしてアメリカ大陸上陸から1ヵ月後、軽空母からなるドイツ第2艦隊がバミューダ海域でアメリカ主力艦隊と遭遇。急報を受けてドイツ第1艦隊が援護に向かい、かろうじてアメリカ主力艦隊を撃退したが第2艦隊は8割の損害受け、第1艦隊も巡戦3隻を失った。この"バミューダ海戦"でドイツ海軍は大打撃を受けた。ドイツ海軍は他にバルト艦隊・黒海艦隊・ペルシャ艦隊の3艦隊が存在したが、いずれも旧式艦で主力艦も1、2隻程度しかない沿岸警備隊程度である。第2艦隊が事実上壊滅状態であり、直ぐに海軍補充計画が策定されたがアメリカ海軍とまともに戦えるのは第1艦隊のみであった。



制海権を奪われるのは時間の問題であった。焦ったヒトラーはついに"特秘6903号命令"を発令した。V2ミサイルは既に対イギリス・対ソ連戦で使用されたがいずれも通常爆弾であった。この時ドイツは既に原子力研究を完成させて原子爆弾を保有していたが極秘として忍ばせていた。しかし「特秘6903号 国家緊急事態における戦略的攻撃計画としての秘密兵器使用命令」としてついに人類史上初の核攻撃を決断した。

メーメルにあるロケット試験場で核弾頭を積んだV2ミサイルが3基配備された。核実験を行っていなかったため、ミサイル攻撃が失敗した時のためにさらに核爆弾を搭載した2個戦略爆撃航空団がグリーンランド野戦空港に配備された。1946年9月11日8時、ついに1基目のV2ミサイルが発射された。15分後さらに1基、そして12時に3基目が発射された。目標はそれぞれワシントンDC・ニューヨーク・ボストンの3つである。V2ミサイルは音速で都心中心部に落下し爆発した。陸軍30個師団以上が被害を受け、空軍・海軍も致命的なダメージを受けた。都市部は地獄と化した。翌日ドイツ政府はアメリカ政府に対して降伏勧告。降伏に応じなければアメリカ・カナダ領土に対して引き続き核攻撃を行うと脅したがアメリカは降伏を拒否。カナダとも単独講和交渉が行われたが物別れに終わった。ドイツ軍は都市への核攻撃から敵軍集結地帯への核攻撃にシフトした。グリーンランドの戦略爆撃航空団はケベック野戦空港に移動し、連日空爆を行った。

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9月20日ワシントンDC陥落。9月24日ニューヨーク陥落。アメリカ戦線総司令官ハイスマイヤー将軍率いる装甲擲弾兵師団は廃墟の中にあるホワイトハウスにハーケンクロイツ旗を掲げた。元アメリカ系ドイツ人兵士はかつて栄えていたアメリカの都市とは思えない程に徹底的に破壊された街を見て、何も言葉にする事ができなかった。何よりアメリカ戦線では独ソ戦以上にパルチザン活動が活発であった。各所で反乱が起こり、制圧に手を負い苦しんでいた。ハイスマイヤー将軍はアメリカ全土制圧に兵力不足から本国に度々援軍要請を行っていたがバミューダ海戦の敗北に狼狽する海軍が輸送計画の承諾を渋っていたが、グデーリアン・マンシュタイン・クライスト各将軍の説得により新たに4個軍団と保安部隊の増援を実現した。10月に入り、東海岸の大半を制圧していた中ついに本国からの援軍が到達。同日ケベックシティーにドイツ軍アメリカ大陸占領総司令部創設、本格的にアメリカ大陸の制圧が始まった。

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東海岸の制圧戦が終わり、
アメリカ派遣ドイツ軍(Deutsches Amerika Korps:DAK)は西部への進撃を開始。ハイスマイヤー将軍は「連合軍の抵抗は微弱。1ヶ月以内に西海岸全域の確保可能」と本国に報告した。


1947年-潰える連合国、生まれる連合国。

アメリカ本土とカナダはドイツ軍の東海岸制圧に伴ってもはや抵抗は少なく、西海岸では目立った戦闘もなく制圧されていった。そしてついにアメリカ合衆国全権委任を受けたアイゼンハワー将軍がドイツとの降伏に向けた交渉に名乗り出た。ケベックシティーのドイツ軍アメリカ大陸占領総司令部にて降伏文書調印式が行われた。アメリカ合衆国は降伏としてドイツからの分割統治計画に従う他なかった。すなわち【カルフォルニア】【南部連合国】【アメリカ合衆国】に国家を分散して統治せよという計画であった。アメリカ本国単一で統治すればいずれはまたドイツにとって脅威となるし、アメリカ大陸をドイツが占領し続ける事は不可能であった。今この時も各地のパルチザン活動は非常に活発であり、ドイツ軍補給部隊は常に手痛い損害を受けていたからだ。

アメリカ三ヶ国統治が確立し三ヶ国の独立宣言とドイツとの国交が正式に交わされ、翌週にはカナダ本国においても分割統治命令が下された。これに伴い大西洋に面する【ケベック】が新たに独立した。またカナダは臨時措置としてドイツ全法を適用して臨時政府の成立が認められた。

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対イギリス戦線では日本軍が奮戦してついにインドの制圧を完了した。イギリスはセイロン島に49日間立てこもったが海上はドイツ第1艦隊とペルシャ艦隊が封鎖し、空には日本軍機が絶えず爆撃を行った。その間にイギリス政府の一部とは水面下で講和工作が行われた。

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セイロン島に立てこもるイギリス亡命政府はドイツとの講和工作によってついにイギリスはドイツに降伏した。降伏時にチャーチルの姿はなかった、チャーチルは降伏の4日前に地下防空壕で拳銃で一人自殺した。

イギリス降伏の報はすぐにドイツ全国に響き渡った。今や西部ではアメリカとイギリスを屈服させ、東方の広大な土地をも制して中東の油田地帯も確保された。ドイツは戦勝とそして終戦に歓喜した。総統官邸では戦勝式典として功労のあった将兵への授章式と有能な指揮官の昇進が発表された。そしてこの戦勝から政府人事を一新する事をヒトラーは発表した。参謀総長には優れた戦術家であり戦略家でもあるマンシュタイン将軍が任命され、軍需大臣には戦後の新たな計画のためにシュペーアが任命された。アプヴェールは有能であり、アイルランドの内乱援助やイギリスとの講和工作等でその有能さを示していたがカナリス提督は度々ヒトラーの不興を買っていたために情報大臣から下ろされ、有能なSS将官であるシェレンベルク将軍が任命された。

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こうして戦争は終わったと思っていたドイツに冷や水がかけられた。かけた本人はドイツの同盟国であった日本である。ドイツはイギリスと講和し本土の返還と一部をドイツ領とする形で交渉が進められ、インドに関しても同様に一部を日本領とする形で講和交渉が行われたが失敗した。日本は戦勝ムードが高まりインド全土を日本領としない限り講和には応じないと強気の姿勢に出ていた。ドイツはこの問題の仲裁に入ろうとしたが日本側がこれを拒否し、ついに日本は単独でイギリスと戦争を継続すると断言した。この時、ヒトラーは大いに怒った。もはや同盟国と言えどもこのような暴挙を許せるはずがなかった。即刻停戦するようドイツから最後通牒が行われたが日本政府は拒否を明確にした。日本の行動は戦勝で勢いがつきすぎて完全に暴走状態である。"新たな秩序"を監督していくと自負するドイツはついに日本を同盟から追放。英連邦は新たにドイツと同盟し、英独連合国と日本との新たな戦争に発展した。


1948年-日本制裁戦争

英独連合国といってもイギリスは対独戦で軍備の殆どを損失していたために実質的にはドイツ軍と同盟国としてアフガニスタン軍・チベット軍・ポルトガル軍が対日戦線に参加した。ドイツ軍はペルシャより北方軍と南方軍の二手にわかれた。北方軍はアフガニスタンからチベット北部を進撃し満州国境地帯まで進出し、南方軍はインド一帯を制圧した後に東進し北方軍と連絡。別途海軍と輸送艦が東インドに上陸しシャム・シンガポール方面を制圧する作戦が立てられた。作戦名は"シュヴァルツ・イェーガー"、作戦の最終目標は日本の最終防衛線とされる朝鮮国境地帯まで進出し、一部本国の占領とされた。占領目標を朝鮮とするか沖縄とするかで参謀本部の意見は割れたが最終的に南シナをポルトガル陸海軍と共に制圧し台湾・沖縄を占領する案で決定した。

後に対日戦役(独日戦争)と呼ばれる戦いが始まった。インドまで進出していた日本軍ではあったが遠方への遠征のピークであり士気は低く、ドイツ軍の一撃で敵は壊走する有様であった。日本海軍はカルカッタ沖で反撃に出た、しかし日本軍はドイツ海軍がバミューダ海戦で大きい損失を負ったままであると考えていたが実際には増強された計10個艦隊が西インドを出て北上した。主力空母4隻、軽空母6隻、他主力艦40隻を超えるドイツ・ポルトガル連合艦隊は日本海軍に遭遇した。日本軍はドイツ海軍の空母艦載機の雷撃奇襲を受け、続く砲戦で派遣軍の半分を失った。その後も海軍爆撃機航空団が6個派遣されてアジア地域の海で猛攻をかけた。ポルトガル・イタリア軍がマカオと香港に上陸。開戦から1年半で上海にドイツ軍は達し、半年後には降下猟兵師団が台北に降下した。ペルシアからのドイツ陸軍は北方・南方軍が集結し満州に侵攻し激しい攻防の後にドイツに併合され朝鮮国境に達した。そして開戦から2年後、沖縄降下作戦が開始された。

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沖縄を制圧し、ドイツは日本に降伏を勧告する予定であったがここでヒトラーが待ったをかけた。交渉を有利に進めるために核兵器を使用せよとの命令であった。参謀総長であるマンシュタイン将軍は通常戦力のみで日本に勝てるのにアメリカを焼け野原にした核爆弾の使用に抗議した。他の将軍達も同じくして使用に否定的であったがヒトラーは考えを変えなかった。1950年1月3日、香港島の飛行場から核爆弾を搭載したドイツ空軍戦略爆撃機が広島上空から爆弾を投下させた。ヒトラーは講和が決裂した場合に備えて突撃海兵11個師団を準備していたが日本政府は広島に核爆弾が投下された事を知り、降伏を申し出た。日本への制裁戦争ともいえる戦いの結果、日本は朝鮮を含む海外領土を奪われた。日本軍全軍は武装解除し、戦艦ビスマルクで降伏文書調印式が行われた。

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こうして1950年に2度目の世界大戦は終結した。先の大戦で大敗北から立ち直り、世界の覇権を握ったドイツの長き戦いであった。戦争は終わったが占領国としてのドイツの苦難の道を終わらす事とはならなかった。1955年にヒトラー死去、突然の心臓発作でった。エヴァ・ブラウンは常にヒトラーの身近にいた人物でいたが、ついにヒトラーと結婚する事はなく、父に手紙を残して青酸カリで自殺し彼の後を追った。ヒトラーが死去した後のドイツは悲惨であった、苛烈な権力闘争が起こり何人ものドイツ人が同じドイツ人と争った。幸いにもドイツ陸軍はマンシュタイン将軍の元に政治不介入を徹底させたために闘争は最小限に食い止められた。中でもヒムラーは次期総統として積極的に闘争を起こし、ついには指揮下のSS装甲師団を持ってクーデターを図った。しかし、かつて自分が見出した男であったシェレンベルク将軍の巧みな工作によって失敗した。同じくしてゲーリングもその権力欲にかられたが部下の密告によって逮捕された。最終的にはルドルフ・ヘスによる故ヒトラーが語った事を下に総統職を"戦時及び国家緊急事態を除き、その職務を平時には設けない"と定めた。ヨーゼフ・ゲッベルス首相とカール・デーニッツ大統領の元に内政の安定化をはかれたのは彼らに他者を押しのけて権力を握ろうとする欲が少なかった事となにより影の功労者であるシェレンベルク将軍の画策による事が大きい。

ドイツの政治舞台は安定を果たしがヒトラーの死後に各地の反乱やパルチザンに頭を悩ませる事となった。広大な土地を得たが故に、そして威圧的な占領方針によって。これらの対策には内政の安定化で表立ったゲッベルス首相とデーニッツ大統領とで意見が分かれたが、最終的には各地の独立を認めていき生存圏構想は瓦解していく。

第三部・冠たる世界の果てに(準備中)